透明な瓶に手紙をつめてインターネットの海へ

きれぎれの落書きと私信 by 雪虫の伝説

タグ:調所笑左衛門広郷

調所生誕の地鹿児島の農家。
ピーマンを作っておられる農家では、あまりの豊作のために値がくずれてしまっているそうです。
自主廃棄が行われているとニュースがながれていました。



丹誠込めて作られたに違いないピーマンを御自分の手で
潰してしまうお気持ちはどんなものだろうと思います。
どんなに辛いことでしょう。悔しい思いをなさっておられると思います。


平田靱負の屋敷跡・・平田公園のお隣
道を挟んだ建物のよこに小さな石碑が立っています。
三叉路のところです。
ちょうど平田靱負の像の背中の方向です。

平田家のお屋敷のお隣が調所広郷の生まれた屋敷だったのです。


彼は誤解を受けています。
密貿易とか増税とか借金の踏み倒しとか・・・
細かくちゃんと見ると
経済流通の先駆者であり優れた経済理論の実践者だったのです。
もっと評価されてしかるべきだと思います。
ただちょっと早く生まれすぎています。

けれども彼がここに生きていたおかげで
薩摩の明治維新はありました。
日本に新しい時代が訪れたことも事実です。

平田靱負のこと調所広郷のこと
彼らは歴史の中に忘れ去られてしまっています。
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荒れた海
錦江湾には白い波が立っていました。
桜島には雲がかかっていました。
暗い空の色でした。



薩摩には茶坊主という制度がありました。
幕府の茶坊主とは違います。
大奥の茶坊主とも違います。
御所の茶坊主とも違います。

薩摩では武士の子が茶坊主にあがりました。
薩摩の武士はとても貧乏だったのです。
茶坊主には給米4石が支給されていたのです。

西郷従道海江田信義大山綱良も・・少年時代茶坊主を経験しています。
茶坊主は坊主ですから坊主頭です。

調所広郷が茶坊主にあがったのは寛政2年
彼が14歳の年でした。

200年ほど前のできごとです。


彼もまた桜島を眺めて育った人物のひとりです。







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あさ
朝。

少し暖かい気がします。
桜島の上には青い空が広がっています。



とてもよく眠れた朝は
気分爽快です。
とてもよく晴れた朝は
ご機嫌です。


調所広郷の方針はちょっとむちゃくちゃなものでした。

負債は踏み倒す
新たに国産品を開発して増収をはかる


彼が密かに心に決めたスローガンでした。

日本はもちろん鎖国の時代です。
だからこそ薩摩の密貿易は大きな収入を上げました。

琉球を隠れ蓑とする中国の「唐物(からもの)」の密貿易
蝦夷地の昆布にはじまる「俵物(たわらもの)」の密輸出

彼が作りあげたのは蝦夷地から新潟・富山を経て
薩摩そして琉球へと繋がる全国規模の密貿易システムです。
これは彼の仕事のほんの一部に過ぎません。

すでに1844年の段階で
イギリスやフランスの艦隊は
琉球に到来して通商交渉に入っています。
調所は薩摩の洋式軍制改革に乗り出していました。


もちろん
日本に近代の法整備などありはしませんが
完全に密貿易と呼ばれてもしかたのないシステムでした。
日本は鎖国の状態だったのですから。


財政改革で得た益金で甲突川を浚渫
河川交通を整えたときに出た土砂を下流に運び
埋め立てられた土地を天保山と言います。
調所広郷の天保の改革の名が残ったのです。

その天保山の入り口に
調所広郷の像は立っています。




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調所

ペリーが日本にやってくるおよそ20年前
薩摩でトンデモナイ男が動き始めました。

薩摩藩が抱えていた借金は500万両あったのです。

調所笑左衛門はこの借金を全て整理しました。



その上に300万両を作ったのです。
200万両を公共事業につぎこみ100万両は備蓄しました。
一両が食べ物で4万円から20万円
労働賃金なら20万円から35万円の時代のお話ですから・・
トンデモナイ才覚なのです。

薩摩が幕末にあるいは明治の時代に
活動するためのお金は彼によって用意されたものなのです。


けれども調所笑左衛門が偉業を語られることはありませんでした。
現在もあまり語られてはいません。


雨は上がっています。
けれども雲が桜島を覆い隠そうとしていました。


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調所広郷
大型時代劇には必要不可欠なものがあります。それは悪役です。

私の頭は単純で。悪役をおいて整理します。



幕末薩摩のお家騒動「お由羅騒動」の悪役はこの男です。
調所笑左衛門広郷」です。


天保山の入り口にふざけた名前のおっさんが
ふざけたみたいに腰をかがめて
走る車を眺めています。

ちょっと酒井敏也に似ています。
酒井敏也は映画セーラー服と機関銃の中で
薬師丸ひろこの胸で息絶えた半端者です。
つかこうへい事務所の役者です。


私の頭は単純です。

ひとつの物語で稀代の悪役を演じた男が
すぐ次にある物語の中では主役英雄を務めます。
それを矛盾とは感じません。


人はそれほど単純ではありません。

悪役もやり正義の味方もやるのです。
人の一生をたったの数行で記述することはできません。
レッテルを貼るのは簡単なことですが
レッテルは一枚ではすみません。


高橋くずれ」別名「お由羅騒動」の物語では
調所笑左衛門が悪役です。
西郷隆盛大久保利通などほとんどエキストラに過ぎません。


11月に入って
さすがの鹿児島もちょっと涼しくなりました。


嘉永2年1849年12月3日夕刻
高橋くずれはまるで冷たいつむじ風のように
冷たく鋭く素早く薩摩の町に到来しました。
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